インタビュー

せんだいデザインリーグに建築×合宿、大学卒業したら無職でした

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このようにフリーランチのサービス設計は、僕自身のキャリアと、その過程で身につけてきた働き方のスキルやノウハウが元になっています。ではいったい僕はどんな経歴を歩んできたのか。「山あり谷あり」の谷の部分は結構みっともない話も含むのですが、谷あっての山なので、少々長くなりますが、学生時代から順を追ってお話していきたいと思います。

建築学生に事業生を考える課題を出したら、建物として成立したものに

神戸大学で建築を学んでいた頃は、まじめでしたね。いわゆる「意識高い」学生で、1回生のうちから同級生や先輩とギャラリーを借りて、グループ設計展を企画したりしてました。

そのうち学内だけでは物足りなくなって、3回生の時、現在SPACESPACEの岸上純子さん、PROCESS5 DESIGNの吉澤生馬さんらと一緒に、関西圏のインカレ建築イベントを企画しました。それが建築×合宿の前身である即日設計企画「guerrilla project」です。製図室をジャックして1日かけて設計課題をし、お招きした建築家に指導していただきました。

「guerrilla project」は僕たちの卒業後もバージョンアップして「建築×合宿」と名前を変えて、引き継がれ、今でも毎年開催されています。しかもなんと2013年、第1回の立ち上げメンバー3人が「建築×合宿」の出題者+講評者として招待されたんです! 僕らがまいた種が、僕らがキャリアを積んで指導側に回るまでの間、こんなふうに続いてくれたことに驚きました。

建築合宿2016の講評者3人

建築×合宿の創設メンバー3人が、出題者・講評者として建築×合宿2016に招かれました。左から吉澤生馬さん、岸上純子さん、納見。

岸上さんと僕で考えた学生への課題には、普通の設計課題にはないユニークな条件をつけました。敷地は不動産webサイトで探すこととし、建物にかかった費用(不動産購入費と建設費)と建物が生み出す収益(賃料や施設利用料)を考慮したうえで計画しなさい、というものです。

学生のうちはどうしても観念的になりがちですが、事業収支を通じて、建築の社会的な側面を意識してほしいというねらいがありました。現実の建築の形は、経済性だったり安全性だったり商業性だったり、多様な価値によって決められます。岸上さんは建築家、吉澤さんはインテリアデザイナー、僕はコンストラクションマネジャーと、建築のプロの中でも異なる立場なので、そういう建築のリアルな部分を学生のみなさんに見せることができると思ったのです。

そしたら驚いたことに、1〜2回生の学生でもなかなか立派な設計ができたんです。1~2回生のうちって、まだ建築のスケール感覚が磨かれていないものなんですが、「この面積に何席置けばどれだけの売上になるか」を実際にお店に行って観察したりするうちに、適切な寸法を意識することができたんです。これには驚きましたね。

事実、事業計画がきちんとしていた案は、建物としてもリアリティがあるものになっていました。建築学生は大学では建築業界内部の価値観で評価されがちですが、本当は学生のうちに社会の多様な視点に触れることも必要だなあと、この経験で実感しました。

建築合宿集合写真

僕らがまいた種がここまで育ったことに感激。

五十嵐太郎さんに発掘された建築家トーナメント

大学生の頃の話に戻ると、当時はインターネットのテキストサイト全盛期で、建築分野では日埜直彦さんやぽむ企画さんが有名でした。僕も面白いことをしたいと思い、つくったのが「建築家トーナメント」というサイトです。その頃グラップラー刃牙の最大トーナメントをいろんなジャンルにあてはめる遊びが流行っていたので、建築家編を刃牙のストーリーに載せて展開してみたんですよね。

しばらくは反応もなかったんだけど、ネットで影響力のある建築史家の五十嵐太郎さんに発掘された途端、今でいう炎上ぽくなった(笑)。その反応の速さにびっくりすると同時に、インターネットすげえなと感じて、ずっと続けていこうと思いました。実際、後から「あの時サイト見てたよ」という人が結構現れたんですよね。

建築家トーナメント第1話

「建築家トーナメント」はこんな画面でした。フォントの色やサイズで演出する、懐かしのテキストサイト。

建築学生の甲子園、せんだいデザインリーグ入賞

建築学科では、卒業研究の代わりに卒業設計をする学生もいます。自分で課題や敷地を設定して、建物を設計します。学生にとっては4年間の集大成のようなもので、気合の入る一大イベントなんです。

僕は卒業設計で秋葉原の歴史をテーマにしました。秋葉原は青果市場から始まって、電気街、コンピュータ部品の街、コンテンツ産業の街、と変遷していきました。時代時代の顔があって、今もなお変化し続けているのが面白いなと感じていました。そこで実際に秋葉原にある建物の用途を調査して、そのデータをある規則に従って形に置き換える、という設計をしたんです。

実現性はなく、ある種の思考実験的な作品だったので、学内で問題作になってしまった。方法論に対する評価が分かれ、最高点をつける先生と最低点をつける先生がいる状態でした。学年全体では優秀賞、つまり第3位の評価だったんですが、お前なんか顔も見たくない的なことまでライバル研究室の先生に言われました(笑)。

卒業設計の図面(配置図)

卒業設計の図面(断面図)

秋葉原の歴史をテーマにした卒業設計。学内では最高点と最低点のつく問題作に。

そうした評価に納得できなかったので、ちょうどその年に始まった「せんだいデザインリーグ 卒業設計日本一決定戦」にエントリーしてみました。これは全国の学生を対象とした卒業設計のコンペで、毎年ずっと続いています。日本一決定戦と銘打っているだけあって、あまたの学生向けコンペの中でも、建築学生の間では甲子園とか日本ダービーみたいな、世代最強戦的な存在です。

予選をくぐり抜け、最終審査に進み、特別賞をいただきました。100を越える力作の中から、全国で第4番という評価をもらうことができたのです。せんだいデザインリーグは、第1回目からイベントとしても成功したようです。その後、せんだいの入賞者ということで、就職に役に立ったり、知らないところで名前を覚えてもらっていたり、後々生きてくることがありました。

2016年の1月には、せんだいデザインリーグ2016のプロモーション企画「ファイナリスト〜栄光のその先〜」として、学生から取材を受けました。僕が取材対象に選ばれたのは、30代になってもこまめにネットで情報発信してたので、卒業後の足取りを追跡できたからだそうです。編集者や企画をする人は必ずその人のログを追っているんですよね。発信することの大事さを再認識しました。

最後になんとなくうまくいって卒業したのはよかったんだけど、実は就職先が決まっていませんでした。4回生の夏から4ヶ月間、休学して東アジア・東南アジアを回る旅行に出てたんで、就職活動の時期を棒に振ったんです。いろいろありまして、いわゆる「自分探しの旅」でした(笑)。新卒カードの大事さをそこまでわかっておらず、事の重大さに気がついたのは卒業してからでした。

(取材・文 たかぎみ江)

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