監理部でいくつかの現場を経験したのち、設計事務所を退職することにしました。理由の1つは、大学でお世話になった教授から、大学院に戻らないかと誘われたことです。「今年が最後のチャンスだ」と言われまして。今思うと最後でもチャンスでもなかったんですが、大学院にはいつか行きたいと強く思っていたので、誘いに乗りました。
苦心して入った会社を辞めることに関しては、非正規からのスタートだったので長く働き続けるイメージを持てなかったし、現場に出てクライアントと話をしたりするなかで、中堅組織設計事務所の限界も感じていました。何らかの形で自己投資をして、進路の軌道修正を図らなくてはいけないなとは思っていました。
生活の算段は、大学院の受験前から教授に相談していました。教授は任せておけと言ってくれたんですが、いざ合格した後に紹介されたのが、僕が学生時代アルバイトしていたアトリエ系設計事務所だったんです。所員の給料は、僕がそれまで組織設計事務所でもらっていた額よりずっと少ない。社会人大学院生となるとフルタイムで働くのは難しいのに、単価の低い仕事では生きていけないと真剣に悩みました。
はじめての転職、転職エージェントに相談する
20代の頃って、会社の中みたいな狭い範囲での評価しか受けられないじゃないですか。自分の価値って何なのか、よくわからなくなりました。このまま安売りしてしまうことは良くないに決まっている。でも、会社を出た自分の市場価値って一体どのくらいなんだろう。それを知りたくなって、転職エージェントに行ってみたんです。
エージェントから紹介された求人のなかに、いくつかのコンストラクション・マネジメント(CM)会社がありました。発注者の味方になって、建設プロジェクトをマネジメントする仕事です。
意識してキャリアを作ったわけではなかったのですが、20代で設計と監理の両方を経験していたのは、意外と市場評価が高いんだなということがわかりました。非常に分業化が進んだ建設分野で、建物をつくるフローを一通り経験していたのは、伸びしろがあるように見えたんだと思います。
コンストラクションマネジメントという仕事もそこで知りました。監理部ではお客さんから助言を求められる機会が多くなってましたし、お客さんの側について参謀みたいな仕事をするのは面白そうだと思いました。
当時はコンストラクションマネジメントの仕事なんて、転職エージェントに行かなければ出会うことはなかったでしょうね。
そこで、このまま大学院に行くよりももう少しサラリーマンとして経験を積むほうがいいだろうという判断で、マネジメントの世界に飛び込むことになりました。大学院は4月に入学するなりすぐ休学しました。
初めてサービスを受けた転職エージェントの印象は、非常に便利だなあということ。一方で、活用する難しさも感じました。僕は滑り止め的な会社を最初に受けてしまい、後から受けた本命の会社がなかなか最後のステップまで進まなかったんです。たぶん他の候補者と秤にかけられていたんでしょう。その時にエージェントからは、先に内定の出ている会社に決めるよう強く勧められて、ちょっと困惑しました。エージェントは転職が成立して初めて紹介先の企業から紹介料を貰えるというビジネスモデルだから、強引に話を進めようとする場合もあるんですよね。
これ以降何度か転職エージェントに通うことになるのですが、大手の若手エージェントって業界の知識がほとんどないんですよね。また、建築のキャリアって用途・構造・規模・住宅/非住宅と複雑に別れていて、業界経験がないエージェントでは求職者の良さを引き出しきれないんです。
そうした経験が在職中でも相談できるキャリア相談や転職エージェントのセカンドオピニオンなど、フリーランチのサービスを組み立てる時に大いに影響を与えています。
このころは転職活動や大学院入試の勉強で家にいることが多かったので、社会人になって更新が滞っていたwebサイトを再開しようと思い、ちょうどブログという楽なシステムも出てきた時期だったので、「建築現場の歩き方」というブログを始めました。archikata(あるきかた)というハンドルネームを名乗り出したのもこの時です。有名な旅行ガイドブックと、architectureのarchiから取ってつけました。
(取材・文 たかぎみ江)