こうして大手マネジメント会社で広報専任になったわけですが、1社だけで仕事をするのはリスキーではないかと思うようになりました。というのも、広報が本業の人と違って、僕がやっているのは自己流の広報だから、どこの会社でも通用するのかは疑問だったし、他社でも試してみないことにはキャリアとして成長がないと思ったんです。せっかく毎日働かなくていい立場にいるのだから、どういう看板でどういうふうに働くのか、ちゃんとビジネスモデルを考えないといけないと思いました。
いろいろな会社から声がかかったことで、自分の居場所に気づいた
そうこうしていると、むかし営業していたのがじわじわ効いてきて、景気が良くなってきたのもあって、いろんなお誘いを受ける機会が増えてきました。証券会社のCM部門からもヘッドハンティングされたこともありました。給料もいいし、安定していて、社長も面白い。会社員のキャリアの最上位ポジションなのは間違いありませんでした。
好待遇だったのですが、でも一つのことしかできなくなるのはやっぱり嫌だなと思いました。社員になって、毎日会社に行くことになったら、他の仕事のオファーがあっても全部断らないといけなくなる。それが自分にはきついと思ったんです。
あと、他の人からみたらどうでもいいことだと思うかもしれませんが、パソコンにアプリケーションをインストールすることが禁止されているから決められたブラウザしか使えないとか、IMEでATOKが使えないとか、メーラーも自由に選べないとか、細かいルールがたくさんあったんです。iPadのようなタブレットは情報漏洩につながるから執務室に持ち込めないとか、モバイル端末からのメール送信は禁止というのもありました。
そういう細々したルールを伝えられて気がついたのは、自分の能力を発揮するための最低限の環境整備すら禁止されるような環境では働きたくないんだなあということでした。今までそういうことを工夫して効率化してきたのに、それができないのは本当に不自由ですよね。能力に全然関係ないことだし、効率も悪い。ルールが最初にあって、技術者なら誰でもいいなら、僕でなくてもいいじゃないかと感じました。ライターの仕事って規模は小さいけど、目の前の人は自分が必要だから声をかけてくれたわけで、だから報酬が多少安くても頑張れたと思うんです。
状況を変えたい、新しいチャレンジをしたいと思っていたけど、正社員の転職オファーをされてみて、もう戻る場所はそこじゃないんだなと気がついた。それがフリーランチ起業のきっかけの一つになりました。
ビジネスモデルを持つ起業家たちとの出会いが、企業に踏み切らせた
起業するに至ったきっかけの二つめは、ワールドネイバーズ護国寺というシェアハウスにオープニングメンバーとして住んだこと。そこで自分でビジネスをしている人たちに出会いました。僕がそれまで持っていた経営者像って、アトリエ系の建築家だったんですよ。つまり技術者が自分の名前で仕事をするための独立です。でもワールドネイバーズの起業家はそうではなく、明確にビジネスモデルを持っていて、会社を潰したり売ったりも含めた出口まで考えて起業していたんです。建築業界にいてはなかなか至りにくい発想でした。
そこで気がついたのは、フリーランスはみんなそうなんだけど、今やっている広報はいわゆる受託開発のような仕事で、手を止めた瞬間に収入が止まってしまう。日銭を稼ぐために手を動かしていると体力が落ちた時点で限界が来てしまうから、今後はビジネスとして成り立つ事業を考えて、将来にリターンがあるような時間の投資が必要だと思いました。
会社をつくるとして、じゃあ何の会社にするか。僕が今できることの中では、「働く」をテーマにするのが広がりが大きそうだと思いました。「建設・不動産の会社」じゃなくて「建設・不動産が得意な『働く』の会社」であれば、働くことに対する根源的な問題解決になるから、建設・不動産業界で成功事例ができれば他の業界にも展開できる可能性があります。
考えてみると、僕は建築技術者として設計やCMができるし、その経験をもとにライターや広報もできる。でもそのうち実際に何をするかは、お客さんのニーズによって決まります。クライアントのニーズと市場が、「納見健悟」っていう職能をつくるんだと思っています。でも僕に何ができるかを世の中に知ってもらえないことには、面白い依頼は来ないでしょう。同じような悩みを抱えている人は絶対いるはずですよね。個人の能力やスキルを、市場の要望とうまくマッチさせるようなしくみが必要なんじゃないかと思いました。
僕が週5日の仕事のオファーを断ったのは単に自分のわがままからだったけど、世の中には資格の勉強とか、育児や介護とか、大学院に通っているとか、いろんな事情で週5日働けない人はたくさんいますよね。僕が社会人学生だった時から折々に感じてきたように、週5でフルコミットするという働き方は、企業にとっても実は不自由なんですよ。10年20年先を見据えて採用するのはリスクもあるし、短期的な需要をうまく埋めることができません。
だから週5日の終身雇用というこだわりさえ捨てれば、働き手も会社もフェアな取引が成り立つんじゃないか。働き手にとっても、毎日会社に行かないという選択肢が一つあるだけで、生涯働き続けやすくなるんじゃないかと思いました。そう考えたら、あ、そうか、俺の働き方自体がビジネスモデルになるかもしれないな、と思ったんです。
(取材・文 たかぎみ江)